名古屋国際会議場で開催された「第52回日本神経学会学術大会」に行って来ました。
最終日だけおじゃましました。
「良好な予後と早期治療 ~インターフェロン・ベータの長期追跡調査からわかったこと~」
座長:吉良潤一 先生(九州大学大学院)
ピーター・リックマン先生(独・エアランゲン大学)から、
ベタフェロンによる神経保護作用・軸索障害の進行抑制について、
また早期に治療をはじめておくことで、認知機能を保持する効果があるという話をお聞きしました。
認知機能障害については、先月の勉強会でテーマにしたばかりです。
先生によると海外では現在、10分ほどの検査で終えられる認知機能の評価表を開発中とのことです。
しかし認知機能障害そのものに対しては良い治療法や特別な対処法はなく、
だからこそ、この障害を起こさないための早期治療が重要なのだそうです。
ところで、フィンゴリモド(商品名:ジレニア)は、
アメリカでは第1選択なのにヨーロッパでは第2選択として位置付けられています。
リックマン先生によると、これは新しい治療法への考え方の違いであり、
ヨーロッパでは安全性を重視したのだろうとのことでした。
座長:糸山泰人 先生(国立精神・神経医療研究センター)
今井尚志 先生(国立病院機構宮城病院)
まずは吉良潤一先生(九州大学大学院)から、
福岡県重症神経難病ネットワークの12年の振り返りが発表され、
難病コーディネーターと協力病院の信頼関係が確実に築けられてきたことがわかりました。
九州大学では今、医学生の段階から地域医療に関われるようなプログラムを検討しているとのことです。
小森哲夫先生(国立病院機構箱根病院)からは、難病患者のQOLについてのご発表です。
「QOLとは何か?」を考えることからはじめられ、私自身も改めて考えてみました。
QOLを維持するということは、発症前の自分に近づくことだろうと思います。
そして西澤正豊先生(新潟大学病院脳研究所)から、
在宅神経難病患者の災害時における支援計画についてお聴きしました。
お年寄りや障害者の方々には行政からの働きかけがあるものの、難病患者はおきざりにされがちなので、
新潟県内の市町村では現在、難病患者マップを作成中とのことです。
最後に今井尚志先生(国立病院機構宮城病院)から、難病患者の自立について、お話がありました。
全国の難病相談支援センターの相談内容の分析結果が発表されましたが、
神経・筋疾患の相談が一番多いそうです。中でも一番多いのはALSで、次いでMSでした。
MSでは特に、経済面や就労の相談が多いとのことでした。
ところで、今井先生がおられる宮城病院は、地震と津波により大きな被害を受けた地域です。
病院自体は無事でしたが、ライフラインが寸断されたことで、
人工呼吸器を必要とするALSの方々を、遠隔地に搬送しなければならなかった経緯が話されました。
中でも、搬送先の施設でも意思伝達装置を使ってコミュニケーションを維持していた、ALSの女性の話が印象的です。
患者さんの多くは「ご家族にしかわからないコミュニケーション」で過ごしがちとのことですが、
このように、誰とでもコミュニケーションできる力を付けることも、自立のひとつだとわかりました。
座長:田平 武 先生(順天堂大学医学部)
このシンポジウムは、山村 隆 先生(国立精神・神経医療研究センター)による
「MS/NMOに対する抗体療法の可能性」のみお聴きしました。
主にNMOで最近わかってきたことが発表されました。
NMOでは抗AQP4抗体が病気に関与していると言われていますが、先生によると、
この抗体を産生するのは「プラズマブラスト」というB細胞の一種とのことです。
この細胞は末梢血で測定でき、再発時には上昇していることから、
NMOの新たな指標となる可能性があるとわかりました。
プラズマブラストの抗AQP4抗体産生は、IL-6というサイトカインによって促進されることから、
先生の研究室では現在、IL-6に対する「抗IL-6受容体抗体(トシリズマブ)」で、
NMOを治療できないかを検討しています。
座長:祖父江 元 先生(名古屋大学)
水澤 英洋 先生(東京医科歯科大学)
急遽開催が決まったこのセッションでは、災害の現場から、
そして支援の側から、7人の先生方からのご発表がありました。
私は途中からおじゃましました。
被災地から離れるのが難しいことから、
浜登文寿先生(はまと神経内科クリニック・釜石市)はビデオにて、
岩見億丈先生(岩見神経内科医院・宮古市)はインターネット中継にて参加されました。
青木正志先生(東北大学)からは、被災地の患者さんの受け入れ施設を手配するなど、
後方支援活動の実際が報告されました。
大学病院では、停電のため、緊急搬送する人々を屋上のヘリポートまで運ぶのに、階段を使わなければならなかったそうです。
また搬送にあたっては、医師がヘリコプターに同乗せねばならず、
その要員の手配が最も困難だったとのことです。
岩見億丈先生(岩見神経内科医院・宮古市)によると、震災直後は薬よりも衣食住の支援が中心だったそうです。
入院・入所施設は必ず高台に移転させることや、医療関係者間の連絡手段を確保すること、
そして災害時の医療ネットワークを構築することなどが提言されました。
原発事故の影響もある福島県からは、宇川義一先生(福島県立医科大学)のお話です。
震災直後1週間は病院に缶詰で、まるで合宿のようだったとのことです。
固定電話・携帯電話は使えず、会話が明瞭に聞き取れない衛生電話よりも、
インターネットが有用だったことが話されました。
また、できることは待たずに実行することが大切だと話されました。
中田勝己先生(前・厚生労働省疾病対策課)によると、この災害では、
日本神経学会の強いネットワーク機能が迅速に働いたことがわかりました。
震災後すぐに被災者受入可能施設のリストが作られ、メールによる情報交換で、それは毎日更新されていたそうです。
支援側としては、山村 修先生(福井大学)から、亘理町での支援活動が報告されました。
神経難病の患者さんはもともと移動が困難なため、
神経内科医は固定型の避難所ではなく、巡回診療を中心にすべきとの提言がありました。
荻野美恵子先生(北里大学)からは、いわき市からの患者さんの受け入れについて報告されました。
原発事故直後で、まだ放射線量も定かではなかった時期に、
先生ご自身がヘリコプターに乗って、患者さんを迎えに行かれたそうです。
迅速で臨機応変な意思決定が必要だと述べられ、
災害コーディネーターのような役割を持つ人が求められるとのことでした。
最後に大会長の祖父江 元先生(名古屋大学)から、
神経学会としても災害への取り組み体制を強めていくことが話されました。
すでに日本透析医会は、災害ネットワークが構築されていますが、
神経学会としてもそのようなネットワーク作りをはじめていくとのことです。
報告:中田郷子 / MSキャビン