ブログ

主治医への伝え方

こんにちは。中田です。バナナチップスPlus129号のレイアウトが終わりました!

カエルくんと連日Zoomで画面を共有しながら完成させました。こうして打ち合わせができるようになってほんと便利です。

この週末、8人のボランティアさんと一緒に校正して、来週完成予定です☆
「情報誌バナナチップスPlus」

別の先生に診てもらいたい時

「連載・主治医との付き合い方」は今回、主治医への伝え方について書きました。ちょっとした工夫で診察の雰囲気が変わるかもしれないよ、といった内容です。具体例を考えながら、MSを発症した初期の頃を思い出していました。

私が発症したのは1993年5月。20歳の頃です。左手のしびれから始まり、それが消えて左肩の感覚が鈍くなり、それが消えて両足がしびれるようになり、レルミット徴候が出現し、歩行が遅くなっていきました。特に悪いのは右足。

いくつかの病院を回って、頸髄、胸髄、そして脳に病巣が認められて、その年の10月に診断されました。診断してくれたのは普通の脳神経内科の先生です。

でもこんな珍しい病気になるなんて本当か、診断は確かなのかということで、父の職場の伝手で、NCNPに田平先生という専門家がいると知り、主治医に「ここに専門家がいる。この先生の診察を受けたい」と伝えました。

これは今にしてみると配慮が足りない言い方だったなと思います。「別の先生の意見も聞いてみたい」と切り出すべきでした。

でも当時の主治医は笑顔で「いいですよ」と紹介状を書いてくれました。そして田平先生の診察後も引き続き快く診察してくれました。あの先生にお会いできる機会があれば、お礼を伝えたいと思っています。

治療を変更してほしい時

その後しばらくして、その主治医の異動により、半ば強制的に転院となりました、それまでは総合病院でしたが大学病院になりました。順天堂ではないです。主治医も変わりました。

そこでは結構、いろんな経験をしました。どこの病院か特定されてしまうのも何なので詳細は書きませんが、いくつか研究協力もしました。その1つが髄液。

私がルンバール(髄液検査)恐怖症になったのは、この頃からです。治療前後の髄液のデータを集めていたようで、パルス前とパルス後に必ずルンバール。パルスも何クールもするから、ルンバールも何度もします。大学病院では研修医の先生もいます。時に涙を流しながらの激痛で、手を握ってくれていた看護師さんは天使でした。

治療については、疾患修飾薬(DMD)は1つもないから、ステロイド薬がメインです。常に飲んでいました。10mgとか20mgとか30mgとか。

私がインターネットで欧米のMS情報に触れ始めたのはこの頃です。欧米ではインターフェロンが承認されていて、ステロイドでMSを予防するなんて情報は入手できませんでした。

そこで私は、よりによって「ステロイドにMSの予防効果はない」という文献を主治医に見せました。すると主治医は真っ赤になって怒り出してしまいました。最終的には「あなたのような患者は大嫌い」と言われ、決裂しました。

これは今でも反省しています。欧米とは治療環境が違う中、できる限りのことをしてくださっていることへの感謝を先に述べるべきでした。ステロイドによる予防の是非はともかくとして。

今は良好です

その後は、MSの専門の先生にずっと診てもらっていたのですが、訳あって転院しました。私がどこに通院していたかご存知の方も多いはずなので、詳細を書くのはやめておきます。

今の主治医とは治療の他にもいろいろな話ができて、いい関係を築けています。

MSになって30年。他にもいろいろな経験をしてきて、主治医と患者の関係もやっぱり、人間関係の1つなんだなと思っています。

運営はみなさまからのご寄付に大きく支えられています。ぜひご支援をお願いいたします!→「ご支援のお願い」